自殺=死にたい、ではないというお話
どんな人でも、自身の自殺について考えたことがあるだろう。考えたことない人はもはや人間でないと思う。大古の時代より発展してきた人類が、今でも脳にプログラミングされている自殺というコードだからだ。自殺する危険性は誰にでもあるということ。その自殺について考えてみる。
自殺予防週間なので人生は逃げることで切り拓かれる名言を集めました。 - 凡夫じゆうちょう
上記記事を見て自殺予防週間を知った。知らなかった。不覚。
さて、今日は自殺のお話。
あなたが自殺したいと思うときの心境はどのようなものだろうか。家族、友人とうまくいかない、失恋した、失業した、病気だ、なんとなくつらい。だから死にたい、と思うのではないだろうか。人によって違うのは当然。だが実際の自殺者も同じ思いで死んでいったのだろう、と想像の範囲でしかないのだが。死人に口なし、である。
そこで、この「死にたい」という気持ちについて深く考える。実際の行為は「死ぬ」で正しいのだが、動機として「死にたい」はどこかしっくりこない。自殺者は本当に死にたいから自殺するのだろうか。何が言いたいかというと、
失恋した→死にたい
この矢印で結ばれた2つの言葉がつながらない、飛躍しすぎていると感じる。失恋したら絶望する、失業したら不安になる、明日の宿題ならめんどくさい、となるはず。もちろん理由なき自殺もあると思う。だが、自殺を考えるうえで考え方の流れをたどるのは悪くないことだと思っている。
では人はなぜ自殺するのだろうか。それは「生きたくないから」である。自殺する人は、自身の現状を何度も何度も考える。生きる理由だったり、意味だったり、解決策だったりすべてを考える。その思考は他者にはわからない。だから自殺しようとする人を踏みとどませようと「あなたが死ぬと悲しむ人がいます」とか意味がない。そんなことは何回も考えた上で、「生きたくない」と考えるようになる。そして生きたくない人の現状を一発で解決する方法が「自殺」なのである。
だから死にたい、死にたい言う奴は死なないのかもしれない。死について本当に考えたことがないから。
自殺≠死にたい
自殺=生きたくない
この違いが分かるか分からないかが大きな違いだと思う。わかる人は、自殺する人にある程度共感できるのかもしれない。しかしわからない人は自殺する人に対して何を言っても無駄である。